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  • 沖胡牧師 日々のみ言葉

    9月17日
    エペソ人への手紙1:3
    3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

     日本語ではピンと来ないかもしれませんが、原語ではシンプルです。つまり、父なる神様は、キリストにある私たちに対して天にある全ての祝福を与えてくださったという事です。内容は4節以降で詳しく説明されています。まず、父なる神とキリストの関係を考えてみましょう。三位一体の神はキリストと愛の関係にあります。これは罪人が自分中心ゆえに奪い合うような愛ではありません。完全な愛、犠牲の愛、全く変わらない愛です。次に、キリストはその愛ゆえに、私たちを救うために十字架の道を選んでくださいました。そして、「罪人でも十字架を信じるならば救われる」道を開いてくださったのです。それによって、父なる神はご自身のキリストに向けられている愛を「キリストを信じる私たちにも」向けてくださったのです。過去形を使ったのは、神がそのように決断されたからです。その決断は、私たちが生まれるはるか以前、天地創造の前、人類がまだ罪を犯す前です。主なる神は偽る事なく、変化する事がないですから、その決定は何事によっても変更される事はありません。つまり、主は私たちをキリストにあって愛すると決めてくださったのです。それは私たちに「受ける価値」があるとか、私たちが「良い応答をする良い存在」であるからという理由ではありません。なぜならば、私たちはまだ存在さえしていなかったのですから。愛される事は喜びです。偉大な方に愛される事は特権です。主なる神に愛されるならば、賛美とほまれを捧げる他はありません。この世の全ての宗教は「行いによる報い」です。自らを叱咤激励して、行いを頑張ります。しかし、この「頑張る者だけが獲得できる」原則は、私たちは生まれてから洗脳され続けているこの世の原理でもあります。ところで、どんなに頑張っても手に入らないならばどうなるのでしょうか。「これから一切罪を犯さないようにします。もし、一つでも犯したら地獄に落とされてもかまいません」と断言できる人がいるでしょうか。誰もいないのです。ですから、「恵み」なのです。主なる神の愛とは、恵みなのです。

    9月16日
    エペソ人への手紙1:3
    3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

     3節から大事な教理に入ります。昨今のクリスチャンの問題は浅い聖書知識と主観的な霊的体験で「わかったつもり」になっていることです。しかし、それこそ問題の本質です。まさに「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。」(ホセア4:6)とある通りです。揺れ動く信仰生活の理由は、自分が主にあってどういう存在かを知らないからです。いつも賛美する生活は、当然の事で、それは「与えられている祝福」を知っているからです。まず、賛美の生活を考えてみましょう。なぜ、いつも賛美するのでしょうか。日曜日の礼拝時に賛美を歌えば良いのではありません。「横の人が歌うから自分も下手だけど声を出さなければならないのか」という発想は、賛美する生活とかけ離れています(全く歌えない難しい曲を歌わなければならない場合を例外として)。主が私たちを愛するゆえしてくださる事は、毎日賛美し過ぎて声が出なくなるほどになっても、全く足りないのです。ましてや、「(今の私は)賛美する気持ちになれない」という事であれば、主の祝福も自分の立場も全く理解していないという事なのです。しかし、現実的には「うつむきかげんで、いつも不機嫌で、口を開けば否定的な言葉だけが出てくる」クリスチャンが何と多いことか、とあきれます。そういう方々は、教会生活を何十年しても何も理解していないのです。また、「いつも喜んでいなさい」(1テサロニケ5:16)と命じられているので、無理に笑顔を作って喜んでいるフリをしているクリスチャンもいます。「偽善者」というよりは「可哀想な兄弟姉妹」たちです。私たち信仰者の喜びとは、心の奥から湧き上がってきて、どんな苦難も打ち破るものだからです。

    9月15日
    エペソ人への手紙1:2
    2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

     私たちが受けた救いの恵みによって、創造主なるお方が父となりました。そして、全ては主イエスの十字架によって救いが完成したことからです。恵みとは、「受ける価値がない者が、一方的な愛で(それを)獲得する」ということです。恵みの結果は「平安」です。本来であれば、罪人として容赦無く裁かれる者が、イエスの十字架によって「赦される」だけでなく、「父なる神の子どもにさえしていただける」(ローマ8:17)です。信仰生活に入ったばかりの人は「自分が罪人」ということがピンと来ないと思います。それは、世間の基準で自分を測っているからです。しかし、聖書の基準で自分を測れば、「罪人として生まれ、罪を犯し続け、主なる神の愛を知った後も引き続き罪を犯し続ける悪党」なのです。新聞に「前科50犯」という人の記事が出ていたら、世間からは「情状酌量の余地がない根っからの悪党」と評されるでしょう。私たちはそれ以上の悪党です。世間から「良い人と思われている人さえ前科255500犯(罪を一日一回だけ犯して70年間生きた場合)だからです。しかし、その大悪党がイエスの十字架ゆえに「一方的に赦される」となるわけですから、神の「恵みの大きさ」と、平安(恵みゆえの安心感)はどれほどでしょうか。しかし、多くの人たちはこのような偉大な愛に感謝しないばかりか、自分の思うようにならないこととが起こると神に腹を立てているのですから、「開き直っている罪人」なのです。パウロは、救いの恵みを正しく理解するようにとこの書簡を書いています。理解すればするほど、「平安に満たされる」からです。

    9月14日
    エペソ人への手紙1:1
    1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。

     職業に関しては、召命と呼ばれる「献身者としてのコーリング」があります。これは本人の願いと確信、周囲の人たちからの承認、そして、摂理的な導きによります。教職者は神の言葉である聖書を取り扱うのですから、特別な召命があります。では、一般の職業と就職はどうでしょうか。まず、好きな事、得意な事(主からの賜物)によってある程度わかります。次に、主の導きがあります。今までの人生の中での出会いも摂理です。影響を受けるという事もまた導きです。また、主は願いを与えても導きます(ピリピ2:13)。しかし、「主日礼拝を守れない」職場は避けるべきです。信者にとって礼拝と交わりは、信仰生活の維持と成長に不可欠だからです。次に、動機も大事です。「給料が高い」「社会的な立場が高い」などの理由で職業を選ぶ事は、「くらし向きの自慢」を求めるものなのでみ心ではありません(1ヨハネ2:16)。結果としてそのような職業に就く事になっても、いつも謙遜さとお金が神とならないようにしなければなりません。良い信仰生活を送るためには、自身を良い環境に置き続けなければなりません。知恵ある職場選択が祝福される人生の土台となります。さて、「忠実」とは英語でfaithfulです。これは信仰(faith)と似ています。意味も似ています。信頼されるという意味ですが、世間でも信頼されるためには真面目、勤勉、言行一致などの人格が必要です。世の誘惑に振り回されずに、主日を大事にして、み言葉を熱心に求める姿勢こそ、主から信頼される信仰者です。また、「聖徒」とは必ずしも「聖い生活をしている」という事ではありません。まず、聖い生活自体が主観的です。「誰の目に聖いのか」です。聖とは「道徳的に立派な人」という意味ではなく、「分けられている」という意味です。つまり「この世から聖別された民」という事です。ですから、聖徒でないクリスチャンは存在しません。両者は同義語です。聖なる民とは、主を求める民と共に礼拝生活をしている者たちです。むしろ、自分の罪深さを悟り、罪と戦い続ける民です。
  • 世界食料デー芦屋大会2021

    インフォメーション

    *教会事務は火曜日、水曜日、金曜日、土曜日の午前9時から午後5時までとなっています。
    *芦屋こどもの家は昨年6月をもって閉園いたしました。今までのご理解をご協力を心より感謝申し上げます。
    *新型コロナウィルス感染拡大を防ぐために、主日礼拝はインターネット中継です。
     また、沖胡牧師のメッセージは原則当日中にYoutubeにて見れます。「芦屋福音」で検索後、登録ください。
     *過去の礼拝、祈祷会メッセージはyoutubeでも見る事ができます。
    *教会行事は一部を除き中止しています。
    *教会内では感染予防のために複数による飲食はできません。
    *祈祷会は礼拝堂にて、通常通りに行われます。
     感染防止のために、教会に入られる時と出られる時は1階受付で消毒をお願いします。
     また、教会内ではマスク着用でお願いします。



    早天祈祷会

    現在、新型コロナウイルス対策として早天祈祷会は礼拝堂で行われています。マスク着用の上、席は離れて座ってください。熱、咳が通常以上に出ている方、同居家族に新型コロナウイルスの感染者がいる方はご遠慮ください。感染リスクのある方もご遠慮ください。 火曜日〜土曜日午前6時半より個人祈祷会、教会のための祈り。火曜日から金曜日はリビングライフのその日の箇所をCGNTVで一緒に観ます。土曜日は月2回牧師のメッセージがあります。

歓迎します

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ヨハネによる福音書 3:16
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者 がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

このサイトをみてくださっているあなたを心から歓迎します。AGC(芦屋福音教会)は、あなたが神と出会い、神と共に歩まれることのお手伝いしたいと願っています。人生は出会いは決まると言われています。良き先生、愛する人、信頼できる友人と出会うように、ぜひ、創造主なる神様に出会ってください。宗教というと、何か強制されそうで怖いという方がいます。AGCでは献金を含め、強制は一切ありません。教会の様々なプログラムには誰でも参加できます。ホームページをご覧になって「参加してみたい」と思うことがありましたら、ご気軽に教会までご連絡ください。 主任牧師 沖胡一郎

John 3:16
"For God so loved the world, that he gave his only Son, that whoever believes in him should not perish but have eternal life.

AGC opens to everybody. People are afraid of religion because religion requires a lot from seekers and non-members. Our church does not requires anything until you become a member and have desire to offer.  We have small groups, Bible studies, counseling with free of charge. So if you are interested in our church, please contact our staff or send e-meil to us.

pastor ichiro okiebisu

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施設名 芦屋福音教会
住所 〒659-0051 兵庫県芦屋市呉川町2-5
2-5 Kurekawa-cho,Ashiya-city Hyogo pre. Japan
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主任牧師 沖胡 一郎  pastor Ichiro Okiebisu

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